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熊本家庭裁判所 昭和34年(家)324号 審判 1959年4月03日

申立人 下田修(仮名)

委託者 田原正(仮名)

主文

申立人が昭和一七年一〇月一日委託者から委託者と申立人並びに下田ハナとの間の養子縁組届出の委託を受けたことを確認する。

理由

申立人は主文同旨の審判を求めその理由の要旨は申立人は性格の相違から妻ハナと別居し昭和五年三月頃から田原タケと内縁関係を結び爾来申立人はタケの男である委託者を養育監護し委託者は申立人を実父同様に敬慕していたところ委託者は昭和一七年一〇月一日現役兵として入営するに際し丁度戦時下であつたので何時出征するかも判らないと考え委託者夫婦との間の養子縁組届を申立人に委託したまま昭和二〇年四月○日戦死したのでその委託の趣旨に添う養子縁組届出をなすため本件申立をなしたというのである。

よつて按ずるに申立人の審問の結果及び家庭裁判所調査官の調査報告書並びに申立人から提出された戦地の委託者から申立人に宛てた郵便(二〇通)によれば委託者が申立人に養育され申立人を父と呼び申立人等との間の養子縁組を希望し戦時緊迫した情況の下で入営に際し生還を期し難いところから養子縁組届出の委託をなしたことが肯認されるのである。

そこで先づ第一に問題になるのは申立人の妻ハナは性格の相違から申立人と多年別居していたが未だ離婚していなかつたので申立人は妻ハナと共に縁組をしなければならないのであるが委託者がハナと縁組をなす意思があつたかという点であるが申立人は妻ハナと当時離婚しようと協議したがハナは委託者の実母との内縁関係を黙認し委託者を申立人等の養子とすることに同意するが従来通り申立人との間の婚姻を維持し仕送をして呉れということであつたので委託者を養子とすることには委託者もハナも双方異存はなかつたことが窺知されるのである。

第二の問題点は委託者が申立人並びに妻ハナとの間の養子縁組届の委託をしたことが確認されてもハナが死亡(昭和二〇年一一月○○日死亡)しているので委託に基く養子縁組届出は受理する方法がないのではなかろうかという点であり従来消極的見解もあつた(昭和三二年九月一一日最高裁家庭局甲第八六号家庭局長回答参照)

しかし委託に関する届出の制度が戸籍の届出をすることの困難な立場にあつた出征者等の意思を尊重するため認められた便宜救済的措置であることに鑑みるときは凡ての事項を死亡当時の基準によつて判断することは制度本来の目的を没却する結果を招くおそれがあるという理由から委託当時戸主である委託者が法定の推定家督相続人のある人の養子となる縁組は当時施行されていた民法の下では絶対に成立することは不可能であるが新民法は家の制度を廃止し縁組の制約が撤廃されたので当事者の意思を実現させることが委託に関する届出の制度の本来の趣旨に適合するものであるという裁判例もある(昭和三三年一月二二日広島高裁岡山支部決定)また「委託又は郵便による戸籍届出に関する件」という法律施行前養子縁組届出がなされたが届出受理前に養子となる者が戦死していることが後日判明しその養子縁組届出が無効として消除された後養子縁組の委託確認がなされたが委託後養母が死亡している事案につきその養子縁組を有効とする法務省の見解が公にされた(昭和三三年一二月一三日民事甲第二五一五号法務省民事局長回答)但しこの事案は養親となるべき者は委託確認前に縁組届をなしており養子となるべき者の届丈が無効であるから養親となるべき者の一人又は双方が死亡し改めて委託確認に基く届出が出来なくても委託者の分丈を補充することによつて瑕疵が治癒されるのであるがこのように縁組届がなされていない本件のような場合に養親となるべき者の一人が死亡し届出(意思表示)ができない事案については依然として縁組を成立させる方法はないという説もある。

しかし養子縁組とか婚姻のように当事者双方の合意即ち身分上の契約が成立したことを前提とししかも要式行為として戸籍法に定むる届出をなすことを以て縁組又は婚姻の成立要件とするものにつき当事者一方の意思表示が届出時に無効なる場合に相手方の届出のみを有効とし後日追完を認めるようなことが認めらるべきでなく縁組届の有効無効は合一にのみ認めらるべきことは事柄の性質上論をまたないところであろう。

しかし委託又は郵便に依る戸籍届出に関する件という法律は如上のような平時における原則に対し戦時事変に臨み戸籍の届出が困難な場合における委託者の意思を尊重し死亡後その相手方が委託者の委託の趣旨に合意し届出をすれば委託者の死亡の時まで法律効果を遡及させようとするものであり又郵便により戸籍の届出をなした後戸籍吏が受理前に届出人が死亡した場合には意思表示の効力発生に対する到達主義の原則に対し発信主義の例外を認めたものである。

元来契約の本質から観れば委託者の委託は縁組の申込みでありその確認に基き相手方が承諾の意思表示をなしその届出がなされて初めて縁組の法律効果は発生する筈である。しかしそれでは委託者が死亡し人格を失つた後一定の身分関係を発生させることになり恩給法による遺族扶助料や相続につき不都合な点を生ずるので丁度相続開始当時胎児であつたものが生きて生れた場合は相続につき胎児は既に生まれたものと看做され権利能力が認められるのと同様に委託確認がなされたときは死者である委託者が委託の趣旨に基く身分上の契約の点に於て恰も生きているもののように擬制され相手方は委託の趣旨に合意することによつて身分上の契約を完結させることを認めたのであるが只だ届出の効力を委託者の死亡当時まで遡及させるのである。

ところで委託者の意思表示とその相手方意思表示とが時間的にずれていて当事者の身分関係やそれを規制する法律に変動があつた場合に委託時と委託者の死亡時と相手方の意思表示により契約が完結する時の何れの時点によるかが問題となる。思うに委託時と確認を求める時期とは時間的にも十数年を経過しておりかつ史上かつて経験したことのない滄桑の変を経過したので委託者の相手の側にも色々の変動があることは当然のことで本件のように縁組の相手方が死亡したり離婚したり色々の変動は免れないところであろう。

ところで縁組の当事者に配偶者がある場合に夫婦が共にしなければ縁組が出来ないというのは夫婦の円満を破壊しないための規定であるから本件のように委託者が申立人夫婦との縁組を委認したが確認時に於て申立人の妻が死亡しておる場合には申立人のみで縁組を認めることは民法七九五条(旧民法にも同趣旨の規定もあり)にも又委託者の趣旨に反しないところであり、茲まで積極的に委託の効力を認めなければこの法律は仏を造つて魂を入れないものとなり立法者の親心は水泡に期することになるのであろう。

若し偶然に委託者の名義を冒用して縁組届出をなした場合のみが救済されるという者があればそれは姑息偏侠な法律理論と言はざるを得ない。

百尺竿頭一歩を進めて戦時事変下音信さえ意に任せず死地に赴いた戦死者の意思を尊重しその希望した身分関係を作出することこそこの法律の正しき運用と言はなければならない。

而して委託に基く養子縁組の要件が備るかどうかの点は委託時よりも確認時乃至は確認による届出時に於ける委託者の相手方となるべき者の身分関係につき考慮さるべきものであり委託確認による縁組届出の効力が委託者の死亡時に遡るからと言つて委託時に配偶者があつた者が委託に基く縁組届出時にその配偶者が死亡した場合は生存配偶者は単独で委託者と養子縁組をなし得るものと解するのが相当である如上の見解から申立人の本件申立は正当と認め主文の通り審判する。

(家事審判官 森岡光義)

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